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大阪高等裁判所 昭和41年(う)1671号 判決 1967年8月18日

本籍

兵庫県川西市寺畑字北ノ山一八番地の二八

住居

右同所

会社役員

中地新吾こと

中地新樹

大正五年二月一四日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四一年七月一八日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 辻本修出席

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大井勝司、同松本武裕各作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

一、大井、松本両弁護人の控訴趣意第一点、事実誤認の主張について。

各論旨は、横浜関係土地の売買について、原判決は弁護人及び被告人が原審においてなした、横浜関係土地の売上による所得は、土地の仕入代金九三、三〇三、三二〇円とその経費六、六六九、五六四円を要しているので、これを計算根拠にすべきであり、又既に遠藤勇において自由に処分している残地は被告人の資産でないからこれを期末棚卸欄に計上すべきでない旨の主張を排斥しているが、これは全く事案の真相に隔たること甚だしく、原審が証拠の取捨選択を誤つた結果に外ならず、破棄を免れない。即ち、真相は地主との売買契約書に基き証第一一号の売買一覧表の買の部分が、又売渡の部分も国鉄への売却手続後に記入されていたのである。しかるに原判決は、右売買一覧表記載の金額は単に買取見込価格に過ぎないと判示しているが、これは甚しい事実の誤認である。原判決が基礎とした証第二八号の売買契約書は、前記売買契約書(仮に真正の売買契約書と称する)ではなく、昭和三七年三月一五日航空便で中要が被告人の許に送つてきたものであり、被告人の全然見知らぬもので偽の契約書ともいうべく、これを基礎にして認定した原判決は重大な誤りを犯したものである。次に、被告人は原審において、自分と遠藤勇との間では、鉄道に売却したことによつて生ずる切れ端の土地、所謂残地は同人の自由処分に委す意思であつた旨供述しており、遠藤においても、この残地は明かに地主から土地を買入れた当初から自己の所有にする意思のもとにこれを管理していたのである。しかるに、原判決がこれら残地は被告人の所有なりとして期末棚卸に計上しているのは根本的に誤りである、というのである。

よつて記録を精査し案ずるに、原判決が証拠の標目一(三)ノに挙示した証拠によれば原判決認定のとおり次の事実を認めることができる。即ち、被告人は昭和三五年二月以降西武鉄道株式会社の依頼により横浜居住の土地仲買人遠藤勇を通じてその附近の土地を約六万五、〇〇〇坪に亘つて買受けていたところ、翌三六年三月頃から同社の資金援助を受けて国鉄新幹線軌道用地の買収を計画し、前同様遠藤を通じて右用地の積極的な買収を進めることとし、手数料として買収土地の売上価格に対する三パーセントを同人に支払うことを約し、遠藤は右依頼により右軌道用地予定図面から該当土地の所有者と買収交渉をなし、買収見込価格が判明すると、被告人が代表取締役をしていた日本開発株式会社の当時の営業担当役員であつた中要にこれを報告し、同人において国鉄と交渉し、利益が見込まれると正式に遠藤において地主との間の土地売買契約書(証第二八号の一ないし六二参照)を作成してこれを買付けると同時に右中要により国鉄に売却され、且被告人に報告されていた。右買付に際しては、原則として軌道予定用地に限られていたものの技術上一部用地外にまたがる部分も買付けざるを得なかつたので、その際右買収見込価格は中要においてメモされた上、後日売買一覧表(証第一一号)に整理移記され、又買付資金は買付を急速になす必要がある状況であつたので土地買付資金等判取書(証第一二号)に押印の上、被告人ないし中要より遠藤に包括的に交付されていた。右買付に要した諸経費のうち証第一五号の領収証中加藤友春及び吉田康造各領収分は、本件買付にかかる土地と無関係なものであつた。本件買付の終了した昭和三六年末頃、前記遠藤勇より買付手数料の精算要求を受けた際、被告人において売却できなかつた一部の土地(所謂残地)で決済して貰いたい旨回答した。以上の事実が認められる。

従つて、弁護人の主張の根拠である前記売買一覧表記載の金額は単に買収見込価格にすぎないものであり、又土地買付資金等判取書も後日精算の予定された包括的買付資金の交付を証するものにほかならず、実際に土地所有者に支払われた仕入価格を示すものは前掲証拠、殊に土地売買契約書及び領収証(証第二八号の一ないし六二)であるというべきである。被告人は、原審公判廷において、右売買一覧表に記載の買付価格が真実の価格であり、前掲土地売買契約書及び領収証は取引当時に作成されたものではなくて後に遠藤らにおいてすり替えた偽の契約書及び領収証であると強く主張し、又前認定の証第一五号証中の加藤友春及び吉田康造両名領収分についても吉田康造、遠藤勇らにおいて明確に否定していることを敢てこれに反することを主張し、残地の件に至つては前記土地売買一覧表の記載に微しても、又土地売買の一般的実情からみても理解しがたいような、新幹線軌道用地のみの買付でこれ以外の部分は全く買付けていないと供述するなど、不合理且不自然な供述に終始しているのであつて、前掲証拠と対比し到底これを信用することはできず、更に経費のうち証第一四号の領収書分については証人遠藤勇の当審公判廷における供述と対比し、又その他の経費(離作料として三〇万円を松下幸郎に支払つている旨の供述)についてはこれを裏付ける資料もないので、何れもこれを信用することができない。

二、大井、松本両弁護人の控訴趣意第二点、事実誤認の主張について。

各論旨は、大阪関係土地の売買について、原判決は、弁護人及び被告人が原審においてなした、被告人の大阪関係土地の売上は大阪市東淀川区中島町七丁目五〇番地及び同五六番地の土地合計六三二坪についてだけであつて、同五一番地、五八番地及び七六番地の土地合計五八〇坪は被告人の売上でなく田中千代子のそれであり、また右譲渡による所得は事業所得ではない旨の主張を排斥しているが、右は明らかに原判決が証拠の取捨選択を誤つたか、もしくは採証の法則に違反した結果、事実を誤認したものであり到底破棄を免れない。即ち、被告人は昭和二六年一一月頃、田中千代子から二、三回に亘り合計金二〇〇万円を借用したが、田中千代子は右金員を調達するため、自分等家族の居住する住家を土地と共に街の金融業者に担保に供して金を借り、これを被告人に融通したのである。ところが被告人は遂に右借入金を田中千代子に支払うことができなかつた結果、右不動産は金融業者の所有に帰し、田中千代子の家族全員はその住家から立退かされ、やむなく被告人住家の一室に移住することになつた。田中千代子としては被告人より何とかして右貸付金の返還を受けるべく絶えず請求を続けてきた。ところが田中千代子は被告人が大鉄土地から約四、〇〇〇万円を借用して、新幹線大阪駅附近の土地を買入れる計画のあることを知り、この際右貸付金の返還を受けるとともに、自分も、新大阪駅周辺の土地を買入れて儲けようと考え、被告人に対しその旨申込んだのである。それで被告人は、昭和三五年一月初、借入金二〇〇万円に利息を加えた三〇〇万円を同女に返済すると共に、別に一、四〇〇万円を同女に貸付けたところ、田中千代子は数回土地現場を見て廻つた後、昭和三五年一月初頃からその月末頃迄の間三回位に花原政次から本件土地合計五八〇坪を代金合計一、六二八万一、〇〇〇円で買入れて全額同人に支払い、又買入経費合計五八万三、七二八円を費したのである。被告人もその頃、田中千代子とは別に土地現場を見た上、花原政次から土地合計六三二坪を代金合計一、八九六万円で買入れて同人に支払い、又その経費七〇万六一五円を費した。本件土地は、昭和三六年五月一日国鉄に売却したが、そのうち田中千代子分の売上額は三、一九八万九、四六八円、売上経費は七〇六万四、四〇〇円であり、被告人分の売上高は三、四八三万三、一九八円その経費は八七〇万八、三〇〇円であつた。右のような本件土地の取引状況から判断すると、被告人と田中千代子は夫々別個独立の計算において本件土地の売買をしたことが明瞭である。それ故、被告人が昭和三七年三月所轄税務署に対し昭和三六年度分所得税を申告するに当り、田中千代子分と分離したのは当然である。しかして被告人は個人として当時土地の売買をしたのはこの分だけであるので、譲渡所得として租税特別措置法第三三条の適用ありと信じて申告したのである、というのである。

よつて記録を精査し案ずるに、原判決が証拠の標目一(二)ノに挙示した証拠と被告人の検察官に対する昭和四〇年二月一三日付及び同月一七日付各供述調書を綜合すると、次の事実を認めることができる。即ち、本件大阪関係土地は当初、被告人が代表取締役をしていた大鉄土地株式会社で買付けるため同社の代表者である被告人においてその所有者と交渉していたところ、所有者は個人でなければ売却しないというので、結局、便宜被告人が個人の資格で買受けることとし、他に転売した際の売上げの一定割合を同社に手数料として納入することを条件に同社取締役会において競業許可を受け、同社より被告人に買付資金として金四、〇〇〇万円の融資がなされた。本件土地の買付に際しては右資金が投入され、すべて被告人においてその衝に当つたもので、田中千代子は僅かに昭和三五年一月頃一回被告人に同伴して所有者方へいつたことがあるにすぎず、売主側もすべて買主は被告人であると信じ、又右土地を国鉄に売却するに際してもその交渉は一切被告人が担当した。その後、昭和三七年二、三月頃、売主より圧縮した価格どおりに税申告をなすことについて協力して貰いたい旨の名目で交付された金一三五万円もすべて被告人において取得していた。以上の事実が認められる。右認定事実によれば、本件土地は被告人において他に転売し利益を得る目的で買受けたものであり、又これを売却して所得を得たのも被告人であると認めるのが相当であり、右のような所得型態はまさに事業所得に該当するものと解せられるのである。

以上の認定に反する証人中地千代子及び被告人の原審公判廷における各供述は、細部に微妙な食違いがあるほか、右両者の概ね一致した「昭和二六年頃、田中千代子は被告人に対し、何回かに亘つて二〇〇万円程貸与した。被告人は昭和三五年一月右金員に利息を附けて合計三〇〇万円を田中千代子に返済したが、その際右田中は自分も土地を買つて儲けたいといつて被告人から一、四〇〇万円を借受け、以上合計一、七〇〇万円を資金にして同月本件大阪関係土地のうち五八〇坪を買収した。」旨の供述は、被告人の検察官に対する昭和四〇年二月二八日付供述調書中における「昭和二五、六年頃、田中千代子から金を借り始め、次々と借りて合計二五〇万円程借金した。そして返済できずにいたが、昭和三五年一月に大鉄土地株式会社から四、〇〇〇万円借りた時、田中に利息を含めて五〇〇万円返済した。その時、田中が土地を買つて儲けたいが五〇〇万円では足りないから一、二〇〇万円貸してくれというので、借用金の中から一、二〇〇万円貸してやつた。」旨の供述とかなりの懸隔があつて、結局前認定の事実に照らし信用できず、又本件土地の登記簿謄本における所有名義如何は右認定を左右するものではない。

三、大井、松本両弁護人の控訴趣意書第三点、事実誤認の主張について。

各論旨は、原判決は弁護人及び被告人が原審においてなした、横浜関係土地の売上につき被告人の所得の申告がおくれたのは、右申告に必要な契約書、領収証等の資料が被告人の手許になかつたからであり、被告人には逋脱の意図は認められない旨の主張を排斥しているが、右は明らかに証拠の取捨選択を誤りもしくは採証の法則に違反した結果、事実を誤認したものであり破棄を免れない。即ち、被告人としては、自己の所得を申告するため関係書類を整理検討していたものの横浜関係土地の取引実務は中要と遠藤が中心となつており、書類の作成も同人等によつて行われていたので詳細なことまで十分判らなかつたが、偶々昭和三七年三月中要から、整理したいので渡してもらいたい旨言つてきたので、当時まだ中要を信用していた被告人は何ら疑いをさしはさむことなく横浜関係の土地売買契約書と土地代金の領収証を同人に手渡したのであるが、所得税申告の中心をなす売買契約書と代金領収証をその手許からなくしてしまつては申告についての作業はできず、中要から右書類の返送を持ちわびていたところ、同年三月一五日午後七時頃、被告人が出先から自宅に帰つたら差出人中要名義の航空郵便で売買契約書一綴とそれに領収証が添付されたのが届いていた。ところが、右売買契約書と領収証は先に中要に渡したものとは全然異るものであつた。被告人としては、こうした中要、遠藤勇の絶えざる妨害にあつて遂に同年三月一五日の申告期限に所得の申告ができなかつたのである。被告人は真実の売買契約書や領収証を入手すべく、中を尋ね遠藤と交渉したが、遂にその目的は達成できなかつた。かように被告人は、真正な売買契約書や領収証を入手するためできるだけの努力を続ける一方、手許に必要な書類がなくとも他に便法を講じて所得の申告をしようと奔走していたのであるから、所得申告の意思は十分認められるのである。かくして、昭和三七年一〇月中旬、被告人は田中貞義に後事を託して渡米したのであるが、昭和三八年七月上旬頃、田中貞義から被告人に対し国際電話で横浜関係土地の所得の申告について所轄伊丹税務署に交渉すると、事情やむをえないから推定の数字でも申告を受付けてやるとのことであり、買入代金は合計九、〇〇〇万円で申告する旨伝えてきたので、被告人は同人に対し申告方を依頼した。そして、田中貞義が納税管理人となつて同年七月一九日修正申告書を提出し、この分の所得税一、二〇〇万円を納付した次第である、というのである。

よつて記録を精査し案ずるに、既に控訴趣意第一点に対する判断で認定したとおり、本件横浜関係土地の買付及び売却の直接の担当者は遠藤勇及び中要の両名であつて被告人は単にその報告を受けていたに止まるのであるが、右の報告により被告人が右土地の売買による所得について正確な数額は確認できないまでも、相当の程度迄認識を有していたと認められるところ、更に原判決が証拠の標目五に挙示した証拠によれば次の事実を認めることができる。即ち、右売買は昭和三六年中をもつて終了したものであるところ、同年分の所得税確定申告期限である翌三七年三月一五日に先立つ同月初頃既に被告人において中要に対し右土地の売買による所得税の申告をするので契約書、領収証等を整理するよう指示してこれを手交し、一方遠藤勇も特に右売却に際しての代金受領人名義を身内の者二名としていたので同人等に所得税が賦課されるのを虞れ、その申告につき被告人と交渉を開始し、被告人と課税額の軽減をはかるにつき種々の方法を研究協議し続けたのであるが、結局被告人の昭和三六年分における所得として申告せざるを得ないとの結論に達し、その頃既に整理の完了した前記契約書及び領収証等も申告期限である三月一五日被告人宛空輸し、同日到着した。被告人の大阪関係土地売却による所得その他給与及び配当所得については、右申告期限の前日である三月一四日川瀬祐臣に指示して申告書を作成申告させているのに、本件横浜関係土地の売却による所得については同人に指示した形跡が全くなく、右申告期限後間もないうちにも被告人は遠藤勇等を日本開発株式会社東京出張所に呼び寄せて、再び課税額を軽減させる方法につき検討を続けていた。以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、前記所得税確定申告期限である昭和三七年三月一五日以前に既に被告人は本件横浜関係土地の売買による所得につき概括的にその数額を確認していたし、又契約書及び領収証等の資料を精査検討し、更に経費等を調査すれば正確な数額を確認できる状況にあつたにかかわらず、専ら課税額の軽減をはかつてその差額を不正に逋脱せんことを企図し、右申告期限にこれが所得につき申告をしなかつたものと認めるのが相当である。されば右申告期限に正確な所得の数額についての認識に欠けるところがあつたとしても、それが犯意を阻却するものでないことは明らかである。右の認定に沿う被告人の検察官に対する昭和四〇年二月二七日付及び同年三月一日付各供述調書は既に認定した各事実に徴し十分信用するに足り、これに反する被告人の原審公判廷における供述は信用することができない。

以上の次第で、原判決には所論のような事実の誤認はないから、各論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条、第一八一条第一項本文により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江上芳雄 裁判官 今中五逸 裁判官 山田忠治)

控訴趣意書

所得税法違反 中地新樹

右頭書被告事件につき昭和四一年七月一八日神戸地方裁判所第一四刑事係において言渡した有罪判決に対し控訴の申立をした趣意は左記の通りであります。

昭和四一年一〇月二八日

大阪市北区老松町三の五六 西天満ビル内

右弁護人弁護士 大井勝司

大阪高等裁判所第六刑事部

御中

原判決は(罪となるべき事実)として、

被告人は大鉄土地株式会社及び日本開発株式会社の各代表取締役をするかたわら個人で土地売買等の業を営むものであるが、右個人で土地を売買した所得につき所得税を免れようと企て、昭和三六年分における総所得金額は、七〇、二六六、二七八円、その所得税額は四一、四一四、五九〇円であるのにかゝわらず売上金を除外して所得を過少に申告し、或は売上金の一部を内妻田中千代子(後に婚姻入籍)名義に分割するなど不正の方法によりその所得を秘匿したうえ、昭和三七年三月一四日伊丹市伊丹字溝口七〇の三、伊丹税務署長に対し被告人の右三六年度分における総所得金額を四、八六一、五七一円、その所得税額を七九六、一〇〇円、さらに右田中千代子名義の同年度分の所得金額を四、七〇五、四一〇円、その所得税額を一、七四〇、六八〇円とそれぞれ虚偽の申告をし、もつて詐偽その他不正の行為により正当所得税額と申告所得税額との差額である三八、八七七、八一〇円の所得税を不正に逋脱したものである。

旨判示して所得税法第六九条第一項を適用の上、被告人に対し懲役六月(但し三年間の執行猶予)及び罰金一、〇〇〇万円に処する旨の判決をしたのである。しかし右判決は明かに証拠の取捨選択を誤り若しくは、採証の法則に違反した結果、事実を誤認した違法があり到底破棄は免れないものと信ずる。その理は次の通りである。

第一、先づ横浜関係土地の売買から述べることにする。

弁護人及び被告人は原審において横浜関係土地の売上による所得は、土地の仕入代金九三、三〇三、三二〇円と、その経費六、六六九、五六四円を要しているので、これを計算根拠にすべきであり、又、既に遠藤勇において自由に処分している残地は被告人の資産でないからこれを期末棚卸欄に計上すべきでない旨極力主張し立証して来たのであるが、原判決はこれに対し、右主張は押収してある売買一覧表(証第一一号)、土地買付資金等領収証判取書(証第一二号)、手数料領収証(証第一四号の全部及び証第一五号のうちの加藤友春と吉田康造各領収分)及び事件残地に関する登記簿謄本並に被告人の当公判廷における供述をその根拠にしているのであるが、前掲一、(三)1掲記の各証拠により本件土地の買付経過をみると、被告人は昭和三五年二月以降西武鉄道株式会社の依頼に応じ横浜居住の土地仲買人遠藤勇を通じて同地用辺の土地を約六万五〇〇〇坪にわたつて買受けていたところ、翌三六年三月頃から同会社の資金援助を受け国鉄新幹線軌道用地の買収を計画し、前同様遠藤を通じて右用地の積極的な買収を進めることとし、手数料として買収土地の売上価格に対する三パーセントを同人に支払う約としたこと、遠藤は右依頼に応じ右軌道用地予定図面から該当土地の所有者と買収交渉をなし、買収見込価格が判明すると当時日本開発株式会社の営業担当役員であつた中要にこれを報告し同人において国鉄と交渉し利益が見込まれると正式に遠藤において地主との間の買付契約書を作成してこれを買付けると同時に右中要により国鉄に売却され、かつ、被告人に報告されていたものであること、右買付に際しては原則として軌道予定用地に限られていたものの技術上一部用地外にまたがる部分も買付けざるを得なかつたものでその際右買収見込価格は中要においてメモされたうえ後日売買一覧表(証第一一号)に整理移記され、また、買付資金は買付を急速にする必要のある状況であつたことから土地買付資金等判取書(証第一二号)に押印のうえ被告人ないし中要より遠藤に包括的に交付されていたものであること、右買付に要した諸経費のうち証第一五号の領収証中加藤友春及び吉田康造各領収分は本件買付にかかる土地と無関係なものであること、本件買付の終了した昭和三六年末頃、前記遠藤勇より買付手数料の精算要求を受けた際被告人において売却できなかつた一部の土地(所謂残地)で決済して貰いたい旨回答していることの各事実を肯認することができる。

従つて弁護人らの主張の根拠であるところの前記売買一覧表記載の金額は単に買収見込価格に過ぎないものであり、また土地買付資金等判取書も後日精算の予定された包括的買付資金の交付を証するものにほかなららず、実際に土地所有者に支払われた代金即ち仕入価格を示すものは前掲証拠以外には全く存しない。これに対し被告人は当公判廷において右売買一覧表に記載の買付価格が真実の価格であると強く主張し前掲証拠中の契約書等は取引当時に作成されたものではなく後に遠藤らにおいてすりかえられたものであると述べ、また、前認定の証第一五号証中の加藤及び吉田両名領収分についても同人らが自ら否定していることを敢てこれに反することを主張し、残地の件に至つては前記売買一覧表の記載形式によつても、また、土地売買の一般取引からみても理解し難いような新幹線軌道用地のみの買付でこれ以外の部分は全く買付けていないと供述するなど全く合理性を欠く供述に終始しているのであつて前記認定事実と併せ考慮し到底これを信用することができず、さらに経費のうち証第一四号の領収証分については遠藤勇の大蔵事務官に対する昭和三九年一月二二日付質問てん末書に対比し、また、その他の経費(雑作料として三〇万円を松下幸郎に支払つている旨の供述)についてはこれを裏付ける資料もないのでいずれもこれを信用することができない。旨判示(弁護人及び被告人の主張に対する判断第一点)し弁護人等の主張立証をしりぞけている。しかしこれは全く事実の真相に隔たること甚だしく原審が証拠の取捨選択を誤つた結果にほかならず、破棄は免れないものと信ずる。

押収に係る土地売買一覧表、土地買付資金等領収証、判取書、手数料領収証、残地関係の登記簿謄本、原審における証人中佳津子、田中千代子、中要並びに被告人の各供述調書を綜合すると次の事実が認められるのである。

(イ) 被告人は昭和二四年、土地の開発、売買、周旋を営業目的とする大鉄土地株式会社(以下大鉄土地と略称する)を資本金二百万円で設立し、その代表取締役であつたが、昭和三五年初頃西部鉄道株式会社(以下西部鉄道と略称する)と共同で横浜市周辺の土地を買入れることになつた。ところが大鉄土地には出資者として水谷信義も参加しており、西部鉄道との共同事業は西部の方が中地個人に重きを置いていたので別個に土地会社を設立する必要があるとして、同年二月営業目的を同じくする日本開発株式会社(以下日本開発と略称する)を資本金三百万円で設立した。同会社は実質上被告人の全額出資で、勿論被告人がその代表取締役に就任し、その業務全般を統轄処理していたのであり、中要は同会社設立当初からその常務取締役に就任していた。

横浜市周辺の土地は昭和三五年二月頃から同年一二月頃までの約一年間に亘り、土地合計約六万坪を代金合計約六億円で買入れたのである。而して遠藤勇は当時同市において有限会社京浜建設商事の商号(後に京浜建設商事株式会社に変更)で不動産業を営んでいたが、右横浜関係土地買入れの周旋をすることになつた。同人に対しては買付け額の二分をその手数料として西部鉄道を通じ日本開発から支払う旨の契約を結んだ。

(ロ) この土地買入れの当初、一、二回分、土地合計一万五千坪位は、日本開発と地主との間に直接売買契約が締結され契約書が作成されたが、その後に至り、遠藤の申出により売買契約はその名義を遠藤勇と地主との間に締結されるようになつたのである。而してこの売買契約に必要な用紙は総て日本開発に備付けのものを使用したのであり、理由は一般不動産業者が使用している用紙に記載されている契約条項よりも買主に有利な内容となつていたからである。その最も特異な点は、契約成立の際、売主に渡す金は、手附金とせず内金として取扱つたことであり、これは売主が土地の急速な値上りに目がくらみ、手附倍返えしによる契約解除の申出を封ずるためであつた。(尚同契約書用紙には必ず表紙をつけその中央に土地売買契約書と太文字で、又用紙の毎葉左端部に日本開発株式会社と各印刷したのである)かくして買入れた土地は悉く、西部鉄道社員の名義で登記された。

(ハ) 以上の土地買入に関し遠藤勇に対しては計算上手数料として合計千二百万円を支払うことになる。ところが右土地の買入れ途中である同年五月頃建設省用地の鶴見川土堤じきの土地を買入れたとき遠藤は地主から四、〇〇〇円位で買入れ乍ら、日本開発に対しては七、〇〇〇円で売り渡していることが西部鉄道の社員唐沢や地主一四、五名及び被告人が会合した席上において判明し、同席していた地主達が遠藤の悪辣なやり方に(その差額合計約三百万円)激昂して同人を殴打するとまでいきまいたことがあつたが、この事実を知つた西部鉄道は、このような状態では遠藤がいくら儲けるかも判らないからこの問題の解決がつくまで、手数料の支払は待つことにすると決めたので、同人に対しては手数料約壱千万円が未払になつていることは本件において争いがない事実であるが、しかしこれは西部鉄道と日本開発の債務で被告人個人のそれでないことも明かである。

遠藤は、この土地の買入れが形式上西部鉄道と日本開発の共同になつているが、その実は、西部鉄道の買付けであることは、昭和三五年五、六月頃から日本開発東京出張所に西部鉄道の社員が何時も数名出勤していたことや、その登記名義が西部鉄道の社員になつていたことによつて充分了知していたのである。

(ニ) 前記のようにして西部鉄道の買入れた土地の内新幹線横浜駅とその東方線路用地は、国鉄に対し、昭和三六年二月頃までに一坪当り二万九千五百円で売却したのであるが、遠藤勇はこの仕事をしている間に新幹線が横浜駅から西方に伸びる線路用地に目をつけ、被告人に対しこの用地を共同で買入れ一儲けしようではないか、と申入れて来た。被告人は西部鉄道とのこれまでの関係上、同社に対し遠藤申入れの右土地を引続き買入れの意思があるかどうかを確めたところ、当時の同会社会長堤康次郎は、電鉄を経営する西部鉄道が線路用地ばかりを買入れることは世間態が悪いから会社としては買いたくないが、もし中地個人に於て買う意思があるならできる限り応援してやるとのことであつたので、被告人は昭和三六年三月初、他にも入用があつたので、西部鉄道から金五千万円を借用し、今度は被告人個人として横浜駅から西の方の新幹線路用地を買入れることにしたのである。事務所は東京都目黒の日本開発東京出張所をそのまゝ使い、又従業員としては中要、田中貞義、中佳津子の三名を同会社員の資格で働かせた。期間は同年三月から同年一二月頃までであつたがこの間右三名に対し日本開発から支払つた給料その他の経費は、後日被告人個人の金を以て同会社に返還しているが、この経費は合計四拾六万五千六百二拾六円であつた。

(ホ) 遠藤勇は前述のように、この土地の買入れを被告人と共同でやることを申込んできたので、利益の分配も半々にしてもらいたいとの要求であつた。しかし被告人としては(A)資本金は全部被告人の方が出資する。(B)被告人としては、線路用地を買い、それを売つて儲けさえすれば他に何ものも求めないのである。それ故遠藤が買入れ、線路用地として売つた切れはしの土地は同人の自由処分に委せる。(C)買付けに要する実費や離作料、埋立料、も被告人が負担する。との方針を打出したので遠藤の申出の利益折半の点は被告人にとつては不利であるとの観点から遠藤に対し右の諸点を説明した上国鉄に売つた土地代金の三%をその報酬として出す旨交渉した結果同人もこれを了承したのである。

而して遠藤は、昭和二九年頃から横浜市において不動産業を営んでいた関係上、その土地の有力者、地元の周旋業者と懇意な者多く、そうした実績をフルに活用して本件土地の買入れに当ることになり、どの土地を誰から幾らで買入れるか、即ち買入土地の場所、地形、相手方、買入値段は一切遠藤が自由才量によつて取りはからうのであり、被告人は遠藤の才量を信じこれら買入れに関する事項全般に亘り何等関係しなかつた。

だき合せ等価交換など地主の要求がからむ買入れ土地の判断などは総て遠藤の独断によるもので被告人の全然関知しないところであつた。

本件土地の国鉄に対する売値は坪当り二万九千五百円と当初から決つているのであり、このことは遠藤や中の法廷における供述でも明かに認められ遠藤としてはこの売値と見合つて損をしない程度の値段で土地を買えばよい駅であつたから、遠藤にとつてはこの仕事は左程難しいものではなかつたと思われる。

かようにして、昭和三六年三月初被告人は遠藤勇に土地買入れの前渡金として先に西部鉄道から借用した金の内から壱千万円を手渡したのである。

(ヘ) 遠藤勇が土地の買入れにつき地主と交渉して話が纏まると被告人からさきに渡された前渡金から内金を支払つた上、遠藤がその名義で地主と売買契約を締結し、前述した日本開発備付けの用紙を用いて売買契約書を作成する。同時に地主から白紙委任状と印鑑証明書のほか内金の領収書を受取り右契約書に添附した上日本開発東京出張所に持参する。これを受付けた中要は、証第一一号の所謂、売買一覧表に、右契約書を基礎として地主の氏名、土地の所在地、地番、地目、坪数、単価、金額、支払つた内金、残額、取引月日を記入する。そして早速国鉄に行きこの土地の国鉄に対する売却の交渉を進め、話が纏れば売却の手続をすませて後、直ちに右一覧表の所定欄に売渡先国鉄と記入して坪数、単価、金額を記入するのである。右白紙委任状には売渡代理人として遠藤の指定した馬淵清三郎、宍戸武の名義を記入することにしていたので、国鉄の方では右両名から右土地を買入れたことにして代金は株式会社富士銀行自由ヶ丘支店の右両名名義の口座に振込んで支払つたのである。

中要は国鉄からの代金払込みの事実を確認した後、右銀行から遠藤の土地買入れに必要とする金員を引出し、これを遠藤に手渡すのであるが、そのとき証第一二号の判取帳に、遠藤の金員受領を証するため押捺させた。

右のようにして売買契約書は作成され、而してこの契約書に基き証第一一号の売買一覧表の買の部分が、又売渡の部分も右の手順を経て記入されていたのである。金員の受渡のときは被告人が立会つた場合もあるが被告人の不在の場合は、中が責任を以て遠藤に手渡し遠藤はその都度受取りを証明するため右判取帳に自己の印を押捺したのである。従つて被告人の遠藤に対する本件土地買入金支払の基礎となつたものは証第一一号の売買一覧表であり延いては右売買契約書である。而してこの支払を証明するものは証第一二号の判取帳である。他面日本開発東京出張所には右の売買一覧表、のほか、売買契約書、判取帳、土地買付台帳、国鉄に対する譲渡土地売買帳が備付けてあつた。中佳津子は中要の指示に基き、遠藤勇が持参した売買契約書記載の必要事項を右の土地買付帳に記入していた。土地買入れが進行していつた同年六、七月頃田中千代子は中佳津子と共同で右売買契約書の記才事項と中要が記入していた右の土地買付一覧表との記載事項を照合して両者の間に、更には土地買付台帳の記才とも照合してその記載に誤りがないかを確認したのであるが、その結果は何等誤りがなかつたことが認められるのである。この両名共同による確認作業は二、三回行われ、最後は、この本件取引の終了した同年一二月頃であつたが、そのときも右帳簿や一覧表の記載に何等喰違いはなく記載は完全に一致していたことが認められるのである。然るに原判決は前述のように右売買一覧表記載の金額は単に買取見込価格に過ぎないと判示しているは事実の誤認も甚しいといわざるを得ない。そうだとするとこの売買一覧表に遠藤に渡したと認められる金額と、判取帳に記載されている金額とを対比し、更に最初に被告人が遠藤に渡した前渡金壱千万円を合計すると九千三百三〇万三千三百二〇円(本件土地買入代金)となる。原判決はこの土地買入代金は合計八千三百三十五万七千五百五十円と認めているのである。しかしこれは中要の法廷における供述でも認められるように証第二八号の売買契約書記載の金額を合算したものであるが、この契約書は後にも述べるように前述の経過によつて作成された売買契約書(仮りに真正の売買契約書と云つておく)ではなく、昭年三七年三月一五日航空便で中要が被告人の許に送つて来たものであり被告人の全然知らぬもので偽りの契約書とも云うべくこれを基礎にして認定した原判決は重大な誤りを犯したと見るべきである。

(ト) 而して本件土地買入代金は、右のように遠藤の土地買入れの交渉が纏り、内金を支払つた分について残金を支払う方法をとつていたのであるから、買付契約が纏まらない分について遠藤に対し代金を渡す余地はない。このことは遠藤勇の原審における昭和四一年二月一日附供述調書でも認められるところである。ところが同人の翌二日の同供述調書において検察官の「田中、福田、金子の土地が買えそうだとして預つたが買えなかつたのでその金を返えしたのでしよう」との問に対し、「そうです」と答えた旨の供述記才がなされているがこれは明かに検察官の誘導訊問であると同時に、事実に反する供述であり措信することはできない。遠藤勇と中要の原審における供述調書によると買入代金につき被告人との主張の間に七、八百万円から壱千万円の差額がありそれだけ余分に被告人から受取つたことを認め乍ら、その分については被告人若しくは田中千代子を通じ返還した旨強弁しているが、これを証明する証拠は何物もなく、更には弁護人の具体的な問に対しても何等答えることができなかつたことが認められる。

かような状況から判断すると、返金したと称する彼等の主張は全く根拠のないものであり、真実返金しているなら彼等の性質から云つて必ず領収証を徴している筈である。これがないことはとりもなおさず返金した事実のないことを証明するものであると確信する。

(チ)<1> 被告人は、原審において、自分と遠藤勇との間には、鉄道に売却したことによつて生ずる切れ端の土地所謂残地については、同人の自由処分に委す意思であつた旨供述しているのである。被告人としては、線路敷地を買いこれを売つて利益があれば他に何ものも求めるつもりはなかつたと云うのがその真意であり、このことは例えば洋服一着を新調するつもりで生地一着分を買入れ、これを洋服屋に手渡し、洋服の仕立を依頼した場合と同様と判断される。発註者の通常の意思は、洋服一着が注文通りに仕上がればよいのであつて、当然生ずることが予想されている切れ端の生地、即ち裁屑については何等の関心もなければ、その返還を求める意思もなく、その処分は仕立屋の自由処分にまかせているのが常態である。純理から云えばその切れ端の分についても生地買入代金が支払われているのであるが、しかし発註者の意思はその部分について何等の未練はなく立派に洋服一着が出来上ればそれで充分満足しているのである。ところがその裁ち屑は決して無価値のものではない。これを蒐集する業者もあつてこの裁ち屑を材料として袋物、手堤鞄等が造られ結構再生に役立つているのである。発註者にはこのことは判りながらも仕立上りの洋服だけが目的であり、裁ち屑には一顧も与えないのである。

<2> 被告人は残地の生じたことは、売買一覧表にその旨の記載がなされたとき、これを了承した訳であるが、それは遠藤が然るべく処分するものと思つていたので、それについて関心を示した形跡は少しも見当らない。従つて被告人から遠藤に対し残地についての権利証も、権利移動に必要な印鑑証明書や委任状の提出を求めたこともなく、又勿論同人からこれらの書類を被告人に提出したとする証拠は全然認められない。弁護人側から証拠として提出した残地関係登記簿謄本の記載によつて明かなように、遠藤はこの残地合計六〇六坪につき、今日まで調査未了の五〇坪を除き既に他に譲渡したもの計二件一六八坪同人名義に所有権移転登記をすませているもの一件五坪、一旦同人名義に所有権移転登記をした後自己又はその経営する会社の債務の担保に提供して抵当権設定登記をしたもの計六件二八七坪、同人名義の仮登記のまゝのもの計四件九六坪となつており、この登記の移動経過から見ても遠藤勇は初めから自己の所有土地であるとの判断のもとに所有者として処分し得る一切の権限を行使していることが極めて明瞭に看取されるのである。遠藤は原審において中地社長から残地は遠藤名義に仮登記しておけと云われたのでしたまでで、中地社長のものとして自分が管理している旨の供述をしているが右のような処分経過から判断して右供述は事実に反し、とるに足らないと考える。仮りに被告人が遠藤に対し、同人名義に仮登記しておけと言つたとしても、それは被告人としては、初めから同人の所有であると思い、そう云つたまでで特別の意味はないと判断される。遠藤は、検察官が原審において、同人に示された内容証明郵便によつて残地は西部鉄道のため土地を買入れた際の手数料残金一千万円の代りに自分の方でもらい、自分の名義に所有権移転登記すると云つて来ているが手数料残金一千万円は日本開発株式会社の債務として認めるとしても、被告人個人の取引によつて生じた残地が、仮りに被告人の所有であつたとしてもこれと差引勘定することは筋が通らないし、又土地の評価の問題もあるのに他人の所有に属する土地を一通の内容証明郵便によつて自分の所有に帰属せしめようとしても左様な効果が発生するものとは考えられない。帰するところ遠藤としてはこの残地は最初から自己の所有物であると信じていたからこそ、前記のような処分をしているのであり、この内容証明郵便の発送は被告人の原審の供述のように既に定まつている権利関係に念を入れて再確認をして来たとしか受取れないのである。

<3> 以上のような状況から判断するとこの残地は明かに地主から土地を買入れた当初から遠藤は自己の所有にする意思の下にこれを管理していたのであり、被告人もその考えであつた。然るに原判決はこれら残地は被告人の所有なりとして期末たな卸に計上しているのは根本的に誤りを犯したものと謂わざるを得ない。

(リ) 遠藤勇に対しては報酬として当初の約束通り、売上高に対する三%即ち売上総高一三二、七九七、九四五円に対する三%の三、九三三、九三八円を支払つたのである。(但し国鉄に対する真実の売上総高は、後に述べるように昭和三八年六月二五日国鉄から藤巻寛吉分の土地につき代金一、〇六三、八三二円が過払になつているから返還せよと云つて来たので、この分を差引いた一三一、、一〇三円である。)尚土地埋立費一、〇三〇、〇〇〇円、離作料三〇、〇〇〇円がそれぞれ相手方に支払われている。これらは何れも本件土地買入れの経費として認めらるべきものである。

以上述べたことにより明かな通り、横浜関係土地の所得は、土地仕入代金九三、三〇三、三二〇円とその経費六、六六九、五六四円を計算根拠にすべきであると信ずるのでありこれに反する原判決の認定は事実誤認であり破棄は免れないと信ずる。

第二、次に大阪関係土地の売買について述べる。

弁護人及び被告人は原審において、被告人の大阪関係土地の売上は大阪市東淀川区中島町七丁目五〇番地及び同五六番地の土地合計六三二坪についてだけであつて、同五一番地、五八番地及び七六番地の土地合計五八〇坪は被告人の売上でなく田中千代子のそれであり、また右譲渡による所得は事業所得でない旨主張したのであるが原判決はこれに対し

前掲一、(二)1掲記の各証拠と被告人の検察官に対する二月一三日付及び二月一七日付各供述調書を綜合すると、本件大阪関係土地(但し大阪市東淀川区中島町七丁目七六番地を除く)は当初大鉄土地株式会社で買付けるため同社の代表者である被告人においてその所有者と交渉していたところ、所有者は個人でなければ売却しないと言うので結局便宜被告人が個人の資格で買受けることとし他に転売した際の売上の一定割合を同会社に手数料として納入することを条件に同会社取締役会において競業許可を受け、同会社より被告人に買付資金として金四、〇〇〇万円の融資がなされたこと、本件土地の買付に際しては右資金が投入されすべて被告人においてその渉に当つたもので売主側もすべて買主は被告人であると信じ、また、右土地を国鉄に売却するに際してもその交渉は一切被告人の担当したところであること、後日売主より圧縮した価格どおりに税申告をなすことについて協力して貰いたい旨の名目で交付された金一三五万円もすべて被告人において取得していたこと等の事実が肯認できるので、右事実よりすれば本件土地は被告人において他に転売し利を得る目的で買受けたものであり、また、これを売却して所得を得たのも被告人であると認めるのが相当であり、しかして右所得型態はまさに事業所得そのものと解さなければならない。

以上認定に反する証人中地千代子及び被告人の当公判廷における供述は単に両名間の以前から残されていた債権関係の決済とそれまでの行きがかりからの融資による土地買入れであると称するのであるがその取引内容、数額の供述に不一致があるうえ極めて曖昧なものがあつて前記認定事実に照らし信用できず、また、本件土地の登記簿謄本における所有名義如何は右認定を左右するものではない。

旨判示し(前同第二点)している。しかしこれは明かに原判決が証拠の取捨選択を誤つたか若しくは採証の法則に違反した結果、事実を誤認したものであり到底破棄は免れないものと信ずる。

関係各土地の登記簿謄本、売買契約書、田中千代子名義の三和銀行梅田支店並に三井銀行梅田支店の各普通予金通帳、田中千代子、川瀬祐臣及び被告人の原審法廷における各供述調書を綜合すると次の事実が認められるのである。

(イ) 押収にかゝる元花原政次所有の大阪市東淀川区西中島町七丁目 (1)五〇番地土地三〇〇坪、(2)五六番地土地三三二坪、(3)五一番地土地一四〇坪、(4)五八番地土地三七三坪、(5)七六番地土地六七坪の各登記謄本の記載により、右(1)(2)土地合計六三二坪は何れも昭和三五年五月二日に被告人名義に所有権移転登録記がなされていることが証明され、又(3)は同年一月一〇日、(4)は同年二月一日、(5)は同年一月二〇日に何れも田中千代子名義に所有権移転登記がなされていることが証明されるのである。而してこれらの土地は昭和三六年五月一日国鉄に対し同時に売買契約を結び同月四日附で所有権が国鉄名義に変更された旨の記載がなされている。この各登記簿謄本が示す通り、花原政次から同人所有にかゝる前記の土地を被告人は右のように合計六三二坪を又田中千代子は合計五八〇坪をそれぞれ別個に独立して買入れたことが一目瞭然である。又国鉄にこの土地を売る場合もそれぞれ各自交渉の上売却したのである。

(ロ) 本件土地は最初被告人と大鉄土地が共同で買入れることにし大鉄土地がその資本四千万円を三和銀行梅田支店で借付け、被告人が花原政次と買入れの交渉を始めたところ、同人は相手が会社だと買値をそのまま帳簿に記入して、売買価格を圧縮してぐれないから、個人なら売るが会社には売らない旨、大鉄土地との取引を拒絶した。そこでその事情を大鉄土地の共同代表水谷信義や川瀬祐臣に話した結果、右土地は被告人個人において買うことにし、右四千万円は売上げの二五%を大鉄土地に支払うことを条件として同会社から被告人が借受けることにした。しかし被告人は土地売買を営業目的とする大鉄土地の代表者であり、その代表者が土地を買入れるについては株主総会で競業の承認が必要なので、昭和三五年一月七日臨時株主総会においてその承認がなされた。

(ハ) 被告人が田中千代子と知り合つたのは、つとに古く昭和二五、六年頃に逆のぼる。当時田中千代子は吹田市三百九九番地の二に実母と長男貞義ら三人の子供をかゝえて居住し、大阪鉄道管理局物資部に出店をもつて写真用品の販売業を営んでいた。被告人は昭和二六年一一月頃田中千代子から二、三回に亘り合計金二百万円を借用したのであるが、田中千代子は右金員を調達するため、自分等家族の居住する前記住家を土地と共に、街の金融業者武島政繁に担保に提供して金を借り、これを被告人に融通したのである。ところが被告人は遂に右借入金を田中千代子に支払うことができなかつた結果、同不動産は武島の所有に帰し田中千代子の家族全員はその住家から立退かされ、やむを得ず被告人住家の一室に移住することになつた。右の住家は田中千代子が昭和二三年五月同女が買受け所有していたものであるが、それが被告人の借財のため他人の手に渡つてしまつたので、実母や貞義等は被告人に対し恨むところがあり、被告人と田中千代子とが昭和三七年一〇月二五日まで結婚できなかつたのはこうした家族の心情が支配したことによるのである。

田中千代子としては被告人より何とかして右貸付金の返還を受けるべく絶えず請求を続けて来た。被告人としても一日も早く返還したいと思い努力していたが被告人が関係した仕事は何れも成功せずそれがため右借入金の返済はできなかつたのである。ところが田中千代子は被告人が前記のように大鉄土地から約四千万円を借用して新幹線大阪駅附近の土地を買入れる計劃のあることを知り、この際右貸付金の返還を受けるとともに、自分も新大阪駅周辺の土地を買入れて儲けようと考え、被告人に対しその旨申込んだのである。被告人も、多年に亘り同女に迷惑をかけて来たので、この場合借入金に利息をつけて返えすと同時に大鉄土地からの借入金の幾割かを同女に貸与して同女の土地の買入れに協力してやろうと考え、昭和三五年一月初、借入金二百万円に利息を加えた三百万円を同女に返済するとともに、別に千四百万円を同女に貸付けたのである。被告人は同人が大鉄土地から約四千万円を借入れたときの売上高に対する二五%を金利、手数料として支払う条件は、田中千代子にもこれを確約させて貸付け、他方大鉄土地にもその旨了解をとつた。

(ニ) 田中千代子は実子田中貞義と共に数回、土地現場を見て廻つたのち、昭和三五年一月初頃からその月末頃までの間三回位に花原政次から本件土地合計五百八十坪を代金合計六百二十八万一千円で買入れて全額同人に支払い又買入経費合計五十八万三千七百二十八円を費している。

被告人もその頃、田中千代子とは別に土地現場を見た上、花原政次から土地合計六百三十二坪を代金合計千八百九十六万円で買入れて同人に支払い又その経費七十万六百十五円を費している。

而して本件土地の内五〇番地の三〇〇坪の真実の買主は被告人であるのに、証第一九号が示すように契約名義が田中千代子になつているのは、花原が特に縁起をかつぐ人物で、何かに占つてもらつた結果、田中千代子に売ることは縁起がよいとして被告人にも了解をとり契約名義を同女にしたのであるが、このことは田中千代子の知らないことであり同女が原審において右第一九号証につき不知を以て答えたのもやむを得ないのである。又被告人が買入れた土地二筆につき何れも同女を担保権者として登記しているのも花原に対するこのような関係からである。

尚本件土地の売買契約は何れも前記の月日頃に行われたのであるが登記簿には五〇番地は三四年六月二五日、五一番地は三四年一〇月五日、七六番地は三四年一〇月五日となつているのは花原と司法書士の間において何かの都合上のことで被告人の関知しないところである。

(ホ) 本件土地は昭和三六年五月一日国鉄に売却した。その内田中千代子分の売上額は三千百九十八万九千四百六十八円である。売上経費は七百六万四千四百円であり、これは大鉄土地に対し、約束の売上高の二五%を金利手数料として支払つたからである。被告人の売上高は三千四百八拾三万三千百九十八円で、又その経費は八百七十万八千三百円であつた。

田中千代子に対する国鉄からの支払は二回に亘つて行われ、その第一回は昭和三六年五月四日二千百八十一万三千六百二十四円で、これは金券であつた関係上、同女はそれをそのまゝ大鉄土地に持参して同会社に入金した。このときは被告人も会い川瀬祐臣が受取つたのである。しかし右金額の中には、田中千代子が初めから目をつけていた七六番地の六七坪の分合計金二百五十四万四千六百九十六円が含まれていたので、大鉄土地ではこの分だけ即日同女に返還した。そして利息、手数料として七百六万四千四百円を差引いた残千二百二十万四千五百十八円を同女の返金分として入金した。同女は右二百五十四万四千六百九十六円から二〇万円だけ手許におき残金二百三十四万四千六百九十六円を三和銀行梅田支店の同女の普通預金口座に入会した。

第二回目は昭和三六年八月二九日千十七万五千八百四十四円が支払われたが、同女はこれを、三井銀行梅田支店の同女の普通預金口座に入金し、二日後二百四十万円を引出し、内金百七十九万五千円を大鉄土地に返えしたのである。その結果、田中千代子はこの取引により約八百万円の利益を得たが、その金は何れも自己の用達に費消したのである。

(ヘ) 右のような本件土地の取引状況から判断すると、被告人と田中千代子はそれぞれに別個独立の計算において本件土地の売買をしたことが極めて明瞭である。それ故に被告人が昭和三七年三月所轄税務署に対し昭和三六年度分の所得税を申告するにあたり、田中千代子分とは別個に分離したのは理の当然と云わざるを得ない。而して被告人は個人として当時土地の売買をしたのはこの分だけであるので、譲渡所得として租税特別措置法第三三条の適用ありと信じて申告したのである。

以上の点から判断すると原判決はこの点についても明かに事実を誤認し到底破棄は免れないものと信ずる。

第三、弁護人及び被告人は原審において横浜関係土地の売上につき、被告人が所得の申告がおくれたのは、右申告に必要な契約書、領収証等の資料が被告人の手許になかつたからであり被告人には逋脱の意図は認められない旨主張し立証したのであるが、原判決はこれに対し既に第一点に対する判断の項に認定したとおり、本件横浜関係土地の買付及び売却の直接の担当者は遠藤勇及び中要の両名であつて被告人は単にその報告を受けていたにとどまるのであるが、右報告により被告人が右土地の売買による所得について正確な数額は確認できないまでも相当程度の所得のあつたことを認識していたと認むべきところ、さらに前記五掲記の各証拠によれば次の事実を肯認することができる。即ち右売買は昭和三六年中をもつて終了したものであるとこころ同年分の所得税確定申告期限である同三七年三月一五日以前に既に被告人において中要に対し右土地の売買による所得税の申告をするので契約書、領収証等を整理するよう指示してこれを手交し一方遠藤勇も特に右売却に際しての代金受領人を身内の者二名としていたので同人等に所得税の課税を受けるのを虞れその申告につき被告人と交渉を開始し、被告人と課税額の軽減をはかるにつき種々の方法の研究協議を続けたのであるが、結局被告人の昭和三六年分における所得として申告せざるを得ないとの結論に達し、その頃既に整理の完了した前記契約書及び領収証等も申告期限である三月一五日被告人宛空輸到着したものであること、被告人の大阪関係土地売却による所得その他給与及び配当所得については右申告期限の前日である三月一四日川瀬祐臣に指示して申告書を作成申告させているのに、本件横浜関係土地の売却による所得については同人に指示した形跡の全く存しないこと。右申告期限後間もないうちにも被告人は遠藤勇等を日本開発株式会社東京出張所に呼び、再び課税額を軽減させる方途につき検討を続けていたことの諸事実を肯認できる。

以上認定事実よりすれば、前記所得税確定申告期限である昭和三七年三月一五日以前に既に被告人は本件横浜関係土地の売買による所得につき概括的にその数額を確認していたし、また契約書及び領収証等の資料を精査検討し、さらに経費等を調査すればさらに正確な数額を確認できる状況にあつたものの、専ら課税額の軽減をはかつてその差額を不正に逋脱せんことを企図し右申告期限にこれが所得につき申告をしなかつたものと認めるのが相当であり、右申告期限に正確な所得の数額についての認識に欠けるところがあつたとしても右は犯意を阻却するものではない。

右の認定に副う被告人の検察官に対する二月二七日付及び三月一日付供述調書は既に認定した各事実に徴し信用するに足り、これに反する同人の当公判廷における供述は措信できない。

旨判示(前同第三点)しているが、しかしこれは明かに証拠の取捨選択を誤り若しくは採証の法則に違反した結果事実を誤認したものであり到底破棄は免れないものと信ずる。

(イ) 被告人は、本件土地の取引により生じた所得の申告期限が、昭和三七年三月一五日であることは心得ており、同年二月中旬頃から関係資料の整理にとりかゝつていたことは、原審における被告人の供述調書によつて認められる。被告人の昭和四〇年二月二六日附検察官供述調書第一項には、昭和三六年二、三月頃国鉄東京幹線工事局石原課長、中根補佐官が日本開発東京出張所に来たとき、同人から国鉄え土地収用証明書が国鉄の方からもらえるので、所得税の申告の際それを使えば税金が安くなる旨話を聞いた。土地収用証明書は国鉄が発行するが、これを使用すれば所得税は四分の一ですむと云う説明であつたので、税金が安くなるなら、儲けが少々少くても、国鉄に土地を売ることに協力しようと思つた。

その後次々と売買を進めてきて、昭和三六年一一月頃と思うが、中要が国鉄から土地収用証明書を数部もらつて帰つた。しかしこの証明書には自分の名前が出ていないので税金の申告をするのには、自分の名前が出ていないと具合が悪いと思い、その次に国鉄に行つたとき幹線工事局の小野塚に土地収用証明書に自分の名前を入れてくれと申したが、同人は鉄道は実質上君から土地を買つたのであつても、書面上は君から買つたのではなく登記簿上の名義人である。従つて収用証明書へ君の名前を入れることはできないと断られた旨の供述記載がなされている。これによつてみると被告人としては、昭和三六年一一月頃から本件の所得税は申告しなければならないと思いその方法について色々研究していたことが認められるのである。同供述調書には右供述に引続き、自分は横浜で土地を買つて国鉄に売つた所得について、土地収用証明書を使い税金の四分の一にしてもらおうと思い、本来なら大阪の方でその年に土地を買つて国鉄に売つた分の所得を申告するとき、当然横浜の分もいつしよに併せて昭和三六年度分として申告しなければならなかつたが、横浜の分は土地収用証明書を使うことを考えているうちに、申告期限がきて、大阪の方の所得だけしか申告しないことになつてしまつた旨の供述記載があるが、この後の方の「横浜の分は土地収用証明書を使うことを考えているうちに申告期限がきて、大阪の方の所得だけしか申告しなかつた」と云うくだりは、しかく、かように簡単なものではなく、その間には後に述べるような復雑な事情が介在し、その結果申告期限を経過したのである。

(ロ) 被告人が前述のように所得税申告に関する資料の整理にとりかゝつていた頃の、昭和三七年三月上旬頃、突然中要から被告人に対し「例の花原政次から買われた土地の代金の圧縮について、同人が金一三五万円を口止め料として出すからと云つて来ているので、宝塚市の旅館水明館で会つてやつてもらいたい。そのとき横浜関係土地取引の売買契約と領収証を持つて来てもらいたい。社長(被告人のこと)も判らない点が多いと思うので整理したいから」と云う旨の電話連絡をして来た。中要の云う「例の花原政次から買われた土地代金圧縮問題」と云うのは、既に述べたように被告人が昭和三五年一月花原政次から同人所有の大阪市東淀川区西中島七丁目五〇、五六番地の土地合計六三二坪を、一坪当り金三万円の割合で、代金合計千八百九十六万円で買入れたとき、同人は、右売買価格を一坪当り一万円に圧縮してもらいたい旨要求して来たのを被告人がそれをいれ、差額の一坪当り二万円合計金千二百四十六万円に関する税金は、被告人において負担することにしたのを指すのであるが、右の中要が被告人に電話連絡して来た花原の申出は、この土地売却についての所得申告の時期も近づいているので、被告人がもし右代金圧縮の約束を守らなかつた場合のことを恐れ口封じのため一三五万円を提供すると云うのである。被告人は中要のこの電話連絡に従い、その指定の日、指定する旅館水明館を訪ね、同人及び花原政次と会い、花原からは代金圧縮の件は、約束通り守ると云う趣旨の下に金一三五万円を受取り、他方中要に対しては、持参した右横浜関係の土地売買契約書ならびに土地代金の領収証を何れも全部を一括して、中要がその席上で作成した同人名義の受領証と引換えに手渡したのである。このことは被告人ならびに中要の原審における供述調書証第一六号の受領証によつて証明は充分である。而して右の売買契約書と代金領収証は既に述べたように、横浜関係土地買入れに際し、遠藤勇が地主との間において作成した売買契約書であり、又土地代金として遠藤が地主に支払つた際徴収した領収証であつて弁護人側で云う何れも真正のものである。

(ハ) 被告人としては自己の所得を申告するため、関係書類を整理検討していたものの、横浜関係土地の取引実務は中要と遠藤が中心となつており、書類の作成も同人等によつて行われていたので、詳細なことまで充分判らないのが当時の状況から判断して無理からぬところであると思われる。偶々その頃、中要から「社長には判らない点もあると思うから整理したいので渡してもらいたい」と云つて来たので、その頃まだ中要を信用していた被告人は何等疑いをさしはさむ余地もなく、そのまゝ売買契約書と領収証を同人に手渡したのであるが、引換えに受領証だけは取つておいたのである。しかし乍ら所得税申告の中心をなす売買契約書と代金領収証とを、その手許から無くしてしまつては、申告についての作業はできず、中要から右書類の返送を待ちわびていたところ、同年三月一五日午後七時頃、被告人が出先から自宅に帰えつたとき差出人中要名義の航空郵便で、売買契約書一綴とそれに領収証が添附されたのが届いていた。同郵便物は同日正午頃被告人宅に配達されていたのであるが、留守居の者は、重要書類とは気付かず、従つて被告人の出先に連絡して来なかつたため、被告人は右のように午後七時頃帰宅して初めてそれを知つたのである。被告人は右の売買契約書と領収証とを見たとたん、先に水明館において中要に渡したものとは、全然、似ても似つかない異つたものであつた。第一売買契約書の用紙はさきに述べたように真正のものは、日本開発東京出張所備付けのものが使用されていたのに、送り返えされて来た分は、一般不動産業者が用いるもので表紙もついていなかつた。又書面の筆跡も真正の方は、遠藤勇の特徴のある書体で、このことは被告人が西部鉄道と共同で土地を買入れていたときから引続き約二年間に亘り、遠藤の筆跡を見て来ているので充分承知していたのであるが、返送して来た書面のそれは、全然遠藤の筆跡ではなかつた。又契約書にもられている契約内容、特に取引金額が異つているのにはつきり気付いたのである。被告人としてはこれは全く中要の詐術にひつかゝり、真正な売買契約書、領収証はとり上げられ、偽りのものをつかまされたのであるが、被告人は直ちに中要に連絡したが不在のためとれず、その後も数度に亘り連絡したが、その都度不在をもつて扱われ、最後には電話口に出てきた同人の妻からは、「主人は会いたくないと云つている」旨の返答に接し、中要との連絡は遂にとれないまゝとなつた。遠藤に連絡したが同人は中要と共同行動をとつているらしく一向に要領はつかめなかつた。

(ニ) こゝで中要、遠藤勇の被告人に対する敵性について述べたい。中要は、日本開発の重役であつたが、横浜関係土地の売買が終つて間もない昭和三七年初頃から出社せず、遠藤勇と共同で日本総合開発株式会社の設立を計画していた。そして同年二月一九日同会社の設立の登記をすませ、遠藤勇の事務所を同会社の本社として営業を開始したのである。

このことは原審で提出した同会社の登記簿謄本で明かなように、営業目的も日本開発株式会社と同様、土地の開発、売買周旋であり、会社名も単に総合と入れただけの日本開発と極めてまぎらわしいものであつた。同人等は日本開発にとつて替つて、西部鉄道と土地の売買取引をすべく、同会社の幹部と話を進め、漸くそれが纏まつたので会社の設立に踏切つた。そして西部鉄道とぼつぼつ取引を開始していた同年二月二〇日頃、被告人が西部鉄道総務部長長谷川渉と面談した際、同人から中、遠藤の右の策動を聞かされて大いに驚き、直ちに同会社会長堤康次郎に会い、同人に対し日本総合開発株式会社と西部鉄道との取引に反対する旨の意見を述べたところ、堤会長もこれを了承し、日本開発とは従来通り取引することを確約したのである。その結果中、遠藤の右計劃は画餠に帰し、折角緒について西部鉄道との取引が停止せられるに至つたのは、全く被告人の反対策動による結果なりとなし、爾来両名は被告人に対し深く恨むところとなりその後は被告人の業務のみならずその他万般に亘り悪意に満ちた策動をするに至つたのであり、前述のように真正の契約書、領収証を偽りのものにすりかえたのもその一つの現われであると信じられる。

又被告人に所得税の逋脱があるとして国税局に申告したのも中要であり、このことは被告人が同国税局から査察を受け出頭した際、係官から言明されているのである。更には原審における右両名の証人としての供述態度は、被告人に対し敵意を以て臨んでいたことが極めて明瞭に看取される。

右のような次第であるから中要、遠藤勇の原審における供述には殊更被告人に不利な供述をしている部分数多く認められるのである。被告人としては、こうした中要、遠藤勇の絶え間ない妨害行為に遭遇し遂に三月一五日の申告期限に所得の申告ができなかつたのであり、前記の検察官供述調書中の「土地収用証明書の使用を考えている間に期限がすぎてしまつた」旨の供述記載は、この間における右事情を何等考察せず、従つて真実にふれたものではない。

(ホ) 被告人はかねてから、日本開発の税務顧問瀬川祐臣から土地売買による所得の申告をする資料としては売買契約書、領収証が是非必要であり、それがなければ税務署は絶対申告を受付けない旨聞かされていた。それ故本件所得の申告をするについては手許に僅かに買付一覧表があるだけで、肝心の売買契約書と領収証は偽りのもので、これを資料にすることのできないことは言をまたない。百歩を譲り右の偽りの契約書と領収証とを資料にするとしても、申告期限の三月一五日午後七時にこれを入手したのでは、同日中に整理して申告できないのは多言を須いずして明かであり、直ちに整理にかゝつたとしても二週間位の日時を要することは川瀬祐臣の原審における供述調書によるまでもなく常識上肯定できるところである。被告人は真実の売買契約書や領収証を入手すべく、中を求め遠藤と交渉したが遂にその目的は達成できなかつた。被告人の昭和四〇年二月二六日附検察官供述調書第二項には、被告人が昭和三七年三月上旬から、所得の申告につき上枝税理士に会つてその後における方策を相談している旨記載されこのことは上枝実の検察官供述調書にもそれに符合する供述記載がある。又被告人の右検察官調書第三項には、遠藤や小池計理士にも会い元の地主から直接国鉄へ売つたと云うように修正申告してくれるように、地主に頼んでくれ、税金は自分の方で払うからと云つて頼んだが遠藤はそうなると地主には、こちらが国鉄に売つた単価を知らさなければならないことになつて困ると云い、小池もそれに同調してこれも駄目になつた。この話の前後に、馬淵清三郎や宍戸武等に対しては土地収用証明書が出ているので、二人の名前で申告したらどうかと云つて相談もしたが、遠藤はあの二人は税務署の問合わせに対して十分な説明はできないからこの方法もまづいと云つたので、このこともとりやめた旨の供述記載がなされている。この被告人の動きについては遠藤の原審における供述調書でもこれを認めることができる。

これらの証拠に基き被告人の動きを検討すると、被告人は、真正な売買契約書や領収証を入手するためできる限りの努力を続ける一方手許に必要な書類がなくとも、他に便法を構じて所得の申告をしようと奔走していたことが判明するのであり、所得申告の意思は充分認められると信ずる。この際一言を要することは、原判決もふれている点であるが被告人が三月一五日の申告期限の前後を通じ、横浜関係土地の売買につき、特にその所得に関し税務顧問の川瀬祐臣に一言も相談していないことであるが、その理由とするところは、被告人が原審における供述調書でも認められるように、同人は大鉄土地の有力な株主で被告人と共同代表である水谷信義が経営する数社の顧問を勤め、同人とは特別の間柄である関係上、同人は川瀬を被告人の大見附役として派遣しているのである。従つて被告人としては大鉄土地の業務をおきざりにして同会社の仕事と同一の他の仕事に力を注ぎ利益を上げていることを川瀬に知られたくなかつたからである。

(ヘ) 昭和三八年七月一九日伊丹税務署に対する所得の申告

被告人、田中貞義、川瀬祐臣の原審における供述調書によると、昭和三七年一〇月中旬、被告人は急ぎ渡米することとなつた。出発に察し田中貞義に対し「自分は中、遠藤と仲が悪いが、君ならそうした仲ではないから同人等に会い、横浜土地の買入価格や経費を調査した上所得の申告をしておいてくれ」と頼んだ、又別に長谷川渉に対しても西部の顧問弁護士中島を通じ中や遠藤から真正の売買契約書、領収証を出すように話して田中を応援してやつてくれとも頼んでおいた。

昭和三八年七月上旬頃田中貞義から被告人に対し国際電話で横浜関係土地の所得の申告について、所轄伊丹税務署に交渉すると、事情やむを得ないから推定の数字でも申告を受付けてやるとのことであり、買入代金は合計九千万円で申告する旨伝えて来た。被告人は所得の申告を推定の金額で税務署が受付けてくれるなら、それに勝るものはないと思い同人に対し申告方を依頼した。それから間もなく田中から右所得申告による所得税は千二百万円であり、完納した旨の報告に接した。田中貞義が被告人にこのような連絡をしたのは、昭和三八年六月二五日附で、国鉄から中地の留守宅に宛て、横浜市港北区篠原町字岸根の土地の内藤巻寛吉名義分につき測量の結果買入れ坪数が減少したので、代金百六万三千八百三十二円が過払になつているからこれを返還するようにとの請求書が送付されて来たので田中貞義は川瀬祐臣と相談の上、右書面を基礎に、買入土地の坪数や価格を推定して九千万円と算出し他方国鉄に対する売上総額は判明していたので、これらの資料を以て伊丹税務署に赴き、係官に事情を打明けた上後日更に確実な資料が整つた際、改めて修正申告する旨交渉したところ、同税務署長、直税課長、資産税係長は事情やむを得ないから推定数字でもよいとのことになり田中貞義を納税管理人と定め、昭和三八年七月一九日修正申告書を提出し、この分の所得税千二百万円を納付したのである。

(ト) 被告人が本件所得税法違反の容疑により、神戸地方検察庁において逮捕されたのは昭和四〇年二月八日であつた。そして釈放されたのが三月一日午後三時頃であつたが、その間板垣検事の取調を受けていたが、本弁護人は同月二五日神戸拘置所において被告人に面接した際、被告人は「昨日あたりから恐喝罪の容疑で取調べを受けている。若し今まで通り自分の主張を維持しておれば、満期には釈放されず、恐喝容疑で再逮捕されるかも知れない、そうなれば何時釈放されるか見込みがつかなくなり、仕事の方も気にかゝるが、どうしたらよいか」と判断を求めた。

而してその際被告人の訴える恐喝容疑とは前述した花原政次から水明館で金一三五万円受取つた一件であつた。検察庁では幸王検事を別に右恐喝事件の取調べに当らせ、既に花原等の取調を開始しているときであつた。そこで本弁護人は被告人に対し一度幸王検事に会つて意見を聞いてみる旨約し直ちに司検事に会つたところ、同検事は、被告人が花原からもらつた一三五万円は筋が通らない旨意見を述べられたので、これは被告人の恐れている通り、検察庁は被告人を恐喝罪で更に取調べるのではないかと判断した。翌日頃被告人に面会して、その由を伝えたところ、被告人は何か決するところがあつたようである。被告人の検察官調書を見ると逮捕されてから、二月二七日迄の調書は数回作成されているが、何れも本法廷における供述と同様、所得税逋脱の意思の無かつた旨供述記載がなされているが、三月一日即ち本弁護人が幸王検事に会つた後被告人に面接した以後に作成されたと認められる供述においては、それまでの主張と異り所得の申告をすれば金がないので申告しなかつた旨所得税逋脱の意思があつた趣旨の供述記載がなされているのである。これは明かに被告人において新に恐喝罪により再逮捕されるかも知れないことを恐れ、その釈放される三月一日、而もその直前において、取調官の主張を認めたことが明かに認められ、このことは被告人の原審における供述調書でも認められるのである。他方被告人は西部鉄道と長い期間、厖大な金額に達する取引をして来たので、この間には色々の事情もあり、検察庁の取調を受ければ問題になる事柄もないとは保証できない。西部鉄道の長谷川渉も本件について参考人として取調べを受けていたので、これも気にかゝり、自分の取調べが導火線となつて、西部鉄道の人達が次々と取調べを受けるようなことになつては、今後の取引に重大な影響を与えることをも恐れ、一日も早く釈放されるにしくはないと判断した結果、三月一日附の供述調書となつたと考えられ、このことも被告人の原審における供述調書でも窺えるのである。

このような事情の下で作成された右供述調書の記載は、何等信憑性はないと信ずるものである。

以上述べたことにより明かなように被告人には本件逋脱の意図のなかつたことが認められるのである。原判決がこれと異なる事実を認定しているのは事実誤認であり破棄は免れないものと信ずる。

第四、以上何れの理由から判断しても原判決は重大な事実の誤認があり到底破棄は免れず、被告人は無罪であると信ずる。

控訴趣意書

所得税法違反 被告人 中地新樹

右頭書被告事件につき昭和四一年七月一八日神戸地方裁判所において言渡した有罪判決に対し控訴の申立をした趣意は左記の通りであります。

昭和四一年一一月一五日

大阪市東区北浜二丁目八七平和生命ビル内

右弁護人弁護士 松本武裕

大阪高等裁判所第六刑事部

御中

原判決の認定するところによれば、被告人は国鉄の予定用地を買占めて巨利を博しながら三八八七万七八一〇円の所得税を不正に逋脱したことになつており、一見弁護の余地なき悪質な事犯と目される虞があるが、証拠に基いて仔細に検討すると、原判決の認定には種々の難点があり、被告人としては到底承服し難い事実の誤認がある。原審において慎重な審議が行われたのに拘らず斯る事実誤認を生じたのは、

一、横浜干係土地の売買において、被告人は同じ遠藤勇を介して西部鉄道干係の取引と被告人個人としての取引を引続き行つたため、両者が混同されて正確な事実干係の把握を妨げたこと。

二、重要な証人となつた中要及び遠藤勇の両名は第三者の立場にある公平な証人ではなく、被告人と利害の著しく対立する所謂敵性証人であるのに拘らず(大井弁護人提出の控訴趣意書第三の(二)参照)原判決は両名の供述を全面的に採用して被告人の主張を悉く斥けたこと。

三、大阪干係土地の売買において、被告人と田中千代子は当時内縁の干係にあり、その後間もなく正式に結婚したため、両名別個の取引が恰も一心同体の行為であるかの如く誤解され易い事情にあつたこと。

四、大阪干係土地売買の重要な参考人である花原政次は法廷に証人として喚問されておらず、専ら大蔵事務官に対する質問てん末書及び検察官に対する供述調書によつたため、被告人等との売買の実態を正確に把握するに到つていないこと

等に基くものと思料される。

原判決はその事実認定の根拠として多数の証拠の標目を羅列しており、何れの証拠によつて如何なる事実を認定したのか必ずしも明確ではないが、弁護人及び被告人の主張の主要な点に対し第一点乃至第三点としてその判断を示しており、この三点が原審認定の基礎をなすものと思料されるので、これに限定して意見を開陳し、当才判所の判断を仰ぎたい。

第一点、横浜干係土地の売買について

一、仕入価額について

被告人は本件土地の仕入価額を売買一覧表(証一一号)及び土地買付資金等領収証判取帳(証一二号)の記載に基き九三三〇万三三二〇円であると主張しているのに対し、原判決は八三三五万七五五〇円であると認定している。その証拠として挙げてあるところは多岐に亘るが、細目の計算は別として、その基本となる判断は「右の売買一覧表は単なる買収見込予定表に過ぎず、また判取帳は後日精算の予定された包括的買付資金の交付を証するものにほかならない」ということに帰する。原判決が斯様に判決した根拠は、主として遠藤勇、中要の供述を採用したことによるものと思われるが、次の諸点を仔細に検討すれば右判断の誤りであることが明瞭である。

(一) 先ず売買一覧表(証一一号)について考察する。

(1) 売買一覧表の作成者である中要の供述は

「私が東京出張所長をしていた当時に書いたものであり、遠藤を通じて買つた土地について買収金額と売却金額の内訳を記入した。これは収支の概算を把握するために作成したものである。(中略)一覧表の買収価額は実際の金額であると本日迄は思つていた。一覧表と契約書を照合したことがないので一緒だと思つていたが概算のためのメモだから相違する筈である」(質問てん末書四〇、一、二三日付)「遠藤から誰々の土地何坪を坪何円位で買えると報告があると、中地の決裁で手付金を遠藤に渡し買付を依頼する。

私は土地が買えると見当がつくと、次々に買入予定地を表に記入し、所用見込代金も大体の見当をつけて表に記入し、私のメモにしたり中地に説明するのに使つた。この表は見込表であるから坪数も実際とは多少相違し金額も多い目に記入してある。」(検事調書、四〇、一、一八日付)「これは買付の予定表であり、右側は幾らで売れたかを見るための対照である。この表の買付価額と実際の価額は一致すると思つていたが、一致していないことを退社後知つた。(中略)遠藤が地主に当つて何坪幾らで買えると言つて来ると、その都度書入れた。中佳津子に命じこの一覧表を元にして土地買付台帳に記入さしたことがある。」(裁判所の尋問調書、四一、一、三一日付)となつている。

右の各供述によると、一覧表が見込予定表であるという供述には変りがないが、「見込表であるから買付金額も多い目に記入した」と言いながら「一覧表の金額と実際の金額は一致すると思つていたが、その相違することを退社後はじめて知つた」というのは矛盾している。

また単なるメモのための見込表であるのなら、中佳津子に命じ一覧表を元にして土地買付台帳を作らせることは理解できない。殊に中佳津子の供述によれば、中要は中佳津子に命じ、この土地買付台帳を元にして更に土地売買帳(証二七号)をも作成さしているのである。(裁判所の尋問調書、四一、一、三一日付)

中要は法廷で「一覧表によつては地主から幾らで買つたか、正確には判らない」と供述しているが、若しそうであるなら実際の契約が済んだ後で、契約書等により正確な坪数、価額等を記帳して置くのが、本件のような継続的且つ複雑な取引における常識であるのに、中要はその点については供述していない。

他方、中佳津子の供述によれば、同人は中要の命により、右の売買一覧表(証一一号)に基いて土地買付台帳を作り、更にこの土地買付台帳を元にして土地売買帳(証二七号)を作成しているのであるが、中要は前記の如く、売買一覧表に基き土地買付台帳を作成さしたことは認めながら、更にこれを元にして作らせた土地売買帳は知らぬと供述しているのであつて、土地売買一覧表(証一一号)に干する中要の供述は到底措信し難いものであると思料する。

(2) 売買一覧表(証一一号)の記載内容を見ると、買入れた土地の所有者、所在地、地番、坪数、価額等が詳細に記入されている。中要は単に収支の概算を把握する目的で、遠藤勇から買入れ可能の報告があると、その都度これを表に記入したのが右の一覧表であると述べているが、遠藤勇の法廷における供述によれば、右の買入可能の報告は概ね電話で行つていたということであり、電話報告のみによつて斯る詳細な記載ができるとは思われない。また収支の概算を把握するためのものとしては正確に過ぎ、契約書等に基いて取引の実績結果を一覧表にしたものと見るのが自然である。

殊に中佳津子は法廷における証人として弁護人の尋問に対し「田中千代子と二人で売買契約書に基いて土地買付台帳の記載が正確かどうか照合したことがあつた」と供述し、検察官及び裁判長から重ねてこの点の念を押されたのに対しても「売買契約書と買付台帳を照合したことがあつたが、違つたところはなかつた」と明白に述べているのである。(裁判所の尋問調書、四一、一、三一日付)

因みに中佳津子は中要の姪であり、中要の下にあつて事務を補助していた者である。

これらの諸点を綜合すれば、右の売買一覧表(証一一号)は被告人の法廷における供述の通り、中要が契約書及び領収書によつて作成した取引結果の一覧表であると判断するのが正当であつて、原判決が中要の「見込予定表である」との供述のみを採用し、「売買一覧表記載の金額は単に買収見込価格に過ぎないものである」と認定していることは到底承服し難いところである。

また売買一覧表が単なる買取見込表ではなく、売買の実績表であるとすれば、売買一覧表記載の土地代金額と符合する土地買付資金等判取帳の記載も、原判決のいう如く「後日精算の予定された包括的買付資金の交付を証するものにほかならず」と見るのは誤りであり、実際に支払われた土地代金等を記載したものと判断するのが正当であると思料する。

(二) 原判決は、その認定した土地仕入価額の証拠として土地売買契約書(証二八号)を挙げている。

本件の土地売買に干する証拠として原審に表れた契約書は右証二八号の契約書だけであり、これが仕入価額算定の根拠となることは一応やむを得ない。

しかしながらこの契約書について、被告人は契約の当時遠藤勇から交付されたものとは用紙、筆跡、金額等が全く相違していると強く主張し、中要、遠藤勇の供述と鋭く対立しているので、その真偽を判断することは極めて困難である。

ただ被告人の主張を裏付けるものとしては前記の売買一覧表(証一一号)及び判取帳(証一二号)があり、中要、遠藤勇も判取帳記載の金額合計と契約書(証二八号)の買入価額合計との間に八〇〇万前後の差額があることは認め、その差額は当時被告人に返還したがその返還を証する受取書は取つていないと供述している。

従つて右差額返還の事実を立証できない限り、被告人の前記主張を全面的に排斥することは許されない筋合いであり、遠藤勇は契約の当時金額の相違する二通の契約書を作成していたのではないかと推測せざるを得ないことになる。

若しそうであるとすれば、地主との売買契約は右の契約書記載の金額通りであるとしても、被告人が支払つた実際の金額は売買一覧表及び判取帳記載の金額によつて算定さるべきものと思料する。

(三) 原判決はその認定した土地仕入価額の証拠として、土地買付一覧表(証二三号、二四号)及び遠藤勇作成の確認書(三八、九、一〇日付及び三九、四、七日付)を挙げている。

右の土地買付一覧表は中要が昭和三七年三月中旬頃、横浜市所在の遠藤勇方裏の事務所で作成し、遠藤勇はこの一覧表に基いて右二通の確認書を作成したものであることは明白である。即ち土地買付一覧表及び確認書は言わば同一のものと認められるので一括してこれを検討する。

この点につき中要は次の通り供述している。

「売買契約書等は契約の都度、中地に見せた後金部私が預つていた。取引の終つた三六年九月頃これらの書類を一括し、退社後も三七年三月中地に送るまで私が預つていた。」(三八、九、一〇日付質問てん末書)

「三八年九月一〇日遠藤の提出した確認書の原本は私が作成した。三七年三月初頃東京出張所で中地から申告のため整理してくれと頼まれ契約書、領収書を預つたのでこれに基いて確認書を作り、契約書等の書類は三月一五日航空便で中地に返送した。精算した結果を記入したのだから、確認書が正確で売買一覧表は概算である。」(三九、一、二三日付質問てん末書)

「退社後三七年三月初頃東京出張所で中地から収支の整理を頼まれ、契約書、領収書を預り、これに基いて売買の一覧表を作つた。契約書等の書類は遠藤に貸したことがある。」(四〇、一、二一日付検事調書)

「契約書は遠藤から契約当時受取つて保管していたものもあり、遠藤が保管していたものもあつた。三七年三月中地に頼まれて、自分の保管していた契約書や遠藤の保管していた契約書を資料にし、その他領収書等も資料にして土地買付一覧表(証二三号、二四号)を作成し、資料に右の一覧表をつけて中地に送つた。」(四一、一、三一日付裁判所の尋問調書)また遠藤勇は次の通り供述している。

「中要が三七年三月頃、中地から預つた契約書、領収書に基き私の住居裏の事務所で書いたものを私がリコピーした。それを三八年九月一〇日付の確認書として提出した。それには多少訂正する点があつたので最終的に全部に亘つて正確な確認書を作成し本日提出する。」(三九、四、八日付質問てん末書)

「三七年三月の申告期限も近づいたので、宍戸、馬淵名義の申告準備のため、中地から資料を借りてくれるよう中要に頼んだ。中要も中地から整理を頼まれていたようで、三月初頃契約書等を預つて来て整理していた。私も契約書、領収書や中要の整理した一覧表を借りてリコピーした。」(四〇、一、二〇日付検事調書)

なお被告人はこの点につき「三七年三月初頃宝塚の水明館で中要に会つた際、中要が一ぺん整理したいから契約書、領収書を貸してくれというので貸してやつた。三月一五日返送されたが全く別物であつた。」と述べている。(四一、六、六日付裁判所の尋問調書)

これらの供述によつて明らかな通り、土地買付一覧表(証二三号、二四号)は中要が昭和三七年三月初頃作成したものであり、遠藤勇はこれに基いて確認書を作り、昭和三八年九月十日及び昭和三九年四月八日提出したのであるが、その資料となつた契約書、領収書等については、或いは中要、遠藤勇が契約当時から保管していたものであると供述し、または三七年三月初中地から預つたと述べるなど屡々変転している。殊に遠藤勇は、契約書等は契約の都度リコピーや写を作つていたと供述していたが、

(四〇、一、一〇日付検事調書)中要の供述との食違いを指摘されたためか、二月四日付の検事調書でこれを訂正している。

このように中要及び遠藤勇の作成した土地買付一覧表及び確認書は、その基礎となつた契約書等の資料に疑問がある。しかも遠藤勇は昭和三八年九月一〇日付の確認書を提出した後、これに誤りがあつたとして昭和三九年四月八日これを訂正した確認書を提出しているが、その訂正の根拠になつた資料も不明である。

中要、遠藤勇、小池正治の三名は昭和三七年三月頃協議の上、右の土地買付一覧表を使用して、本件の売買はすべて被告人の取引である旨を神奈川税務署、大阪北税務署、東京国税局に通知しているのであるが、(小池正治の四〇、二、二日付検事調書)中要及び遠藤勇は被告人と離反するようになつた後、何等かの目的をもつて右の土地買付一覧表を合作したものと推測せざるを得ないのであつて、その信憑性に乏しいことは明らかである。

原判決が前記の如く売買一覧表(証一一号)を買付予定表に過ぎずとして一蹴しながら、斯る信憑性なき土地買付一覧表及び確認書を証拠として事実を認定したことは被告人の最も承服し難いところである。

二、残地について

被告人は本件の土地売買から生じた所謂残地は契約の当初から遠藤勇の自由処分に任したものであつて被告人の所有ではないから、これを期末たな卸欄に計上すべきものではないと主張しているのに対し、原判決はその主張を排斥した上「残地の件に至つては前記売買一覧表の記載形式によつても、また土地売買の一般取引からみても理解し難いような、新幹線軌道用地のみの買付でこれ以外の部分は全く買付けていないと供述するなど、全く合理性を欠く供述に終始している」と極め付けている。

この点に干する被告人の主張乃至心境は大井弁護人提出の控訴趣意書第一の(チ)に詳細記載されていることに尽きるのであるが、その趣旨は、被告人としては鉄道用地の予定地を買取つて国鉄に売り相当の利益を挙げるのが目的であつたから、端切れとして残つた残地には全く干心がなく、初めから遠藤勇の自由処分に任す意思であつたというのである。即ち被告人の気持としては鉄道用地として国鉄に売却した土地だけを売買したことになると述べているのである。

本件土地売買の当初、被告人と遠藤勇の間に残地について明白な約束があつたか否かは必ずしも明確ではないが、原案法廷における被告人の供述の中に

「当初遠藤は利益の半分を呉れというたが、それは殺生だ、どうせ線路用地といつても半端が出ることがあるから、そんなものはどうせ今まで西部干係の時でも色々等価交換だとかに処理されているのだから、そんなものはそちらの所有だということで、手数料を三分に話をつけた。(中略)端切れが出るのは向うが所有するというから、それならその土地を遠藤の所有にすればよいので、こちらは鉄道の用地さえ確保できたらいいですから」とあり、残地に対する被告人の気持を卒直に述べている。

また遠藤勇は原審法廷において

「国鉄に売却した以外に六〇六坪の残地を生じた。当時中地から一応私の名義にしておけと言われ、地目変更のできたものは一部私名義に移転登記した。中地が何故私の名義にしておけと言つたのか、特別の理由は判らない」と供述し、弁護人の質問に対し

「中地の指示により私名義に登記しておいたが、その後西武干係の手数料として一応私にやると話があつたことがある。」と述べている。

しかも遠藤勇は右残地の処理につき一片の内容証明を被告人に出しただけで、自己の登記名義にし、自由に売却または担保に供していることは大井弁護人の控訴趣意書に指摘されている通りである。

これらの事実から見れば、契約の当時被告人と遠藤との間に、残地は遠藤の自由処分に任せる旨の明示または暗黙の諒解があつたものと推定せざるを得ない。原判決が「土地売買の一般取引からみても理解し難いような新幹線軌道用地のみの買付で、これ以外の部分は全く買付けていないと供述するなど全く合理性を欠く供述に終始し」と説示しているのは、被告人が裁判長の質問に対して「私が遠藤から買つたのは線路の部分だけで、あとは遠藤の所有である」と供述した部分を指すものと思われるが、これは被告人が前記の如く線路用地だけを国鉄に売却して利益を挙げるのが目的であつたから残地については干心がなく遠藤の自由処分に任すつもりであつたという気持を述べるに当つて、裁判長の三段論法式の鋭い尋問に問い詰められ、勢いに乗つて失言した言わば勇み足と思われる。被告人も土地売買や仲介の経験者であり、残地の生ずることはもとより承知していたのであつて、原審法廷における被告人の供述を通覧すればその趣旨がよく理解できるのである。

若し本件の残地が些細なものであつたら被告人の述べる気持も容易に理解されるのであるが、たまたま六〇六坪という比較的広い残地を生じたため、被告人の供述が極めて不合理なものであるかの如く誤解されたのである。

ただ六〇六坪の残地というが、仔細に検討すれば遠藤が地主との折衝の都合により当初から自己の計算として買入れた部分もあり、現地に行かない被告人としては残地の実際の坪数や状況は殆んど知らなかつたのが実状である。

原判決は本件の残地をすべて被告人の所有として期末たな卸欄に計上しているが、若しこれが遠藤勇の供述の如く、西部鉄道干係の手数料未払分を被告人所有の残地をもつて代物弁済したものとして斯る認定をしたのであるなら、先ずその前提として、西部鉄道干係手数料の債務者は西部鉄道であるか被告人であるか、その正確な金額は幾らか、代物弁済の時期及び手続はどうか等の事実を明確にすることが必要である。然らざれば遠藤勇のなした残地の処分について背任または横領の嫌疑を生ずる結果になるものと思料される。

第二点、大阪干係土地の売買について

本件の土地は当初大鉄土地株式会社で買付ける予定であつたが、所有者が個人でなければ売却しないと言うので、被告人が個人の資格で買受けることとし、これを転売した際の売上の一定割合を同会社に納入する条件で同会社より四〇〇〇万円の融資を受けたものであることは原判決認定の通りである。

しかして被告人は右の四〇〇〇万円の中の二六〇〇万円を資金にして花原政次所有に係る大阪市東淀川区中島町七丁目五〇番地及び五六番地の土地合計六三二坪を買入れ約一年後に国鉄に売却し、残余の一四〇〇万は田中千代子に貸与し、同人において右花原政次所有の同所五一番地・五八番地及び七六番地の土地合計五八〇坪を買入れ、七六番地の六七坪を除いて国鉄に売却したものであると主張しているのに対し、原判決は右土地の売買はすべて被告人の計算において行われたものであつて、田中千代子は単なる名義人に過ぎないものと認定し、その根拠として次の諸点を判示している。

一、原判決は「本件土地の買付に際しては右資金が投入されすべて被告人においてその渉に当つたもので、売主側もすべて買主は被告人であると信じていた」と認定している。

この点につき被告人及び田中千代子は、一緒に土地を見に行つたことはあるが、別個に行つて夫々花原に交渉したものである旨を供述しているので、原判決の判断の根拠は専ら花原政次の「買主の名義は色々になつているが、取引の相手は中地であり中地が買主である」との供述であると推測される。

しかしながら当時被告人等が花原政次から買入れた土地は本件の合計一二一二坪だけではなく、被告人は西部運輸株式会社常務取締役大串静雄の依頼を受け、花原政次及び附近の地主から中要、田中貞義、福田稔等の名義をもつて数千坪の土地を買付け西部運輸に引渡している事実がある。(長谷川渉の四〇、二、一三日付検事調書、被告人の四〇、二、一七日付検事調書)この西部運輸干係の土地買付については、本件に直接の干渉がないと見られたためか、干係者につき詳細な取調が行われておらず、その取引内容も明確を欠く点があるが、花原政次はこの西部運輸干係の売買をも含めて「売却の相手方については全部中地新吾に間違いありません。登記の名前が中地新吾以外の人になつていても私が取引した時の相手方は中地新吾という人でした。契約書の買主は中要、田中千代子、福田稔になつているが全部相手方は中地新吾であります」と供述しているのである(三九、二、三日付質問てん末書)

花原政次としては取引相手側の内部事情は知る由もないのであるから、直接交渉した相手を買主と考えるのはやむを得ないが、その供述のみによつて取引の相手方を実際の買主であると断定できないことは言うまでもないところであり、結局誰の計算において取引がなされたかの事実を究明して判断すべきことは当然である。

現に右の西部運輸干係の取引において被告人は単なる仲介人に過ぎなかつたことは明白であり、また前記の横浜干係土地の取引において、地主との直接の交渉は遠藤勇が行い、契約書の買主も同人になつているのに、実際の買主は被告人であると認定されているのである。

なお原判決は「右の土地を国鉄に売却するに際しても、その交渉は一切被告人の担当したところである」と断定しているが、被告人及び田中千代子の供述を排斥して斯く認定した根拠は明らかでなく、また仮に被告人がその交渉を担当したとしても、これによつて直ちに国鉄えの売主はすべて被告人であると断じ難いことは買入の場合と同様である。

二、原判決は本件の土地売買をすべて被告人の取引であると認定する根拠の一つとして、花原政次が後日に至つて税金軽減のため所謂圧縮した価格で申告することを被告人に依頼し、その協力費という名目で交付した一三五万をすべて被告人において取得している事実を挙げている。

この点に干しても、協力費の名目で交付された金額及びその計算の根拠につき被告人及び花原政次の供述は必ずしも明確でないが、被告人が原審法廷において「花原については二〇〇〇万以上の税金をそのまたかぶつている」趣旨を述べているところからすれば、右の一三五万は本件の土地売買のみに干するものではなく、前記西部運輸の干係で仲介した分も含まれているのではないかとの疑いも生ずる。若しそうであるとすれば、たとい被告人がこれを全部取得したとしても、田中千代子との干係においては、さまで問題にされることではないと思料される。

三、被告人及び田中千代子が夫々本件の土地を買入れ、約一年の後国鉄に売却した際における大鉄土地株式会社との計算干係は大井弁護人提出の控訴趣意書第二の(ホ)に記載された通りであり、このことは川瀬祐臣の原審における証言(四一、二、二八)によつても明らかである。

殊に田中千代子の買入れた土地の中、七六番地の六七坪は大鉄土地株式会社の最初の買付け計画とは別個に田中千代子が買入れの話を進めていたものであつたため、田中が一旦会社に一括入金した中から、その分の二五四万六六九六円を小切手で返還しているのであつて、田中千代子が単なる名義人ではなかつたことの一つの証拠である。

以上の諸点を綜合すれば、本件土地の売買は契約書等の名義の如何に拘らず、被告人と田中千代子が別個独立の計算において行つたものであることが明瞭である。本件の取引が行われた当時、被告人と田中千代子は内縁干係にあつて常に行動を共にしていたため、恰も一心同体であるかの如く誤解される虞があり、延いては本件売買についても田中千代子は単なる名義人に過ぎないものと判断される結果になつたものと推測されるのであるが、親族法上は同居の夫婦の間においてさえ所謂別産制が現代の原則であり、夫の財産を便宜上妻名義に切換えただけでも贈与税等が課せられる建て前になつているのである。

従つて夫婦が同時に同種の土地を売買する場合でも、夫々の名義で取引する以上、別個の計算で行われるものと見るのが原則であり、妻を単なる名義人と断ずるためには、これを立証する特別の事実の存在することを要する。まして本件の場合の如く、被告人と田中千代子は内縁干係にあつたとは言いながら、田中千代子には母と子供があり、日常の生計も別個に行われていた状況の下においては然りであると言わなければならない。

第三点、逋脱の犯意について

被告人は原審において、横浜干係土地の売上による所得を申告しなかつたのは申告に必要な契約書、領収証等の資料がなかつたためであつて、逋脱の意図があつたものではないと主張したのであるが、原判決はこれを排斥し、その根拠として次の数点を挙げているので、これに対する弁護人の見解を述べる。

一、横浜干係土地の買付及び売却の直接の担当者は遠藤勇及び中要であつたが、被告人はその報告により、右売買による所得について正確な数額は確認できないとしても、相当程度の所得のあつたことを認識していたことは原判決認定の通りである。

二、昭和三六年度分の所得税確定申告期限である昭和三七年三月一五日以前において、被告人は中要に対し右土地の売買による所得税申告のため契約書、領収証等を整理するよう指示してこれを手交し、遠藤勇も右土地を国鉄に売却した際の代金受取人となつた宍戸武、馬淵清三郎に所得税の課せられるのを虞れ、その申告につき被告人と交渉し、被告人と課税額の軽減をはかるにつき種々の方法を研究協議したが、結局被告人の昭和三六年度分の所得として申告せざるを得ないとの結論に達したことは概ね原判決認定の通りである。

現在の所謂重税時代において国民が課税の軽からんことを希望してその軽減方法を研究することはやむを得ないところであり、不正な方法によらない限り、必ずしも咎むべきことではない。被告人としては本件の土地を国鉄に売却する当初から、土地収用証明書を使用して租税特別措置法の適用を受け得るものと信じ、これによる軽い税金を前提にして売値を折衝したのである。即ち土地収用証明書を使用すれば正当に税の軽減がはかれるものと信じていたため、昭和三六年一一月頃中要に命じて国鉄より土地収用証明書の下付を受けたが、被告人が売買名義人になつていないためその適用を受けられないことを知り、代金受取人である宍戸、馬淵両名の名義で申告する方法を協議したがこれも困難なことが判り、みむなく自己名義で申告することとし、中要に資料の整理を依頼したのである。

所得税法や租税特別措置法が法律専門家にとつても極めて難解なものであることは周知のところであり、被告人が斯る規定を誤解し土地収用証明書による税の軽減方策を研究協議したからといつて、その当時から被告人に逋脱の意図が存したのではないかと推測することは許されない。

三、原判決は、申告に必要な契約書、領収証等が申告期限である三月一五日被告人宛に空輸到着したことを指摘し、これにより被告人にその意思があれば申告が可能であつたと判断しているが、三月一五日の何時頃に被告人が現実に入手したかは明示していない。

数十件に上る複雑な土地売買の所得申告について、期限当日に仮に資料が到着したとしても、即日その手続を済ますことは不可能ではないにしても、極めて困難であることは常識である。

中要、遠藤勇、小池正治等の供述によれば、同人等は三七年二月末か三月初頃から右の資料を整理にかかり、その資料は三人の間を転々していることが窺知されるが、これを申告期限ぎりぎりの当日被告人に発送したことは、同人等に何等かの悪意があつたものと疑わざるを得ない。

被告人は前記の如く、申告の目的で中要に整理を依頼しその返送を待つていたが、三月一五日午後七時頃右資料を入手したものの、前に中要に交付した資料とは全く別物であつたので、中要にこれを確かむる余裕もなく、ついに申告期限を徒過したものであると供述しているのであつて、中要、遠藤勇等に前記の如き悪意が疑われる以上、被告人が同人等の策略に陥つたと感じ、返送された資料を信用できなかつたことは当然である。

この点につき原判決が「契約書、領収証等の資料を精査検討し、さらに諸経費等を調査すればさらに正確な数額を確認できる状況にあつたものの、専ら課税額の軽減をはかつてその差額を不正に逋脱せんことを企図し右申告期限にこれが所得につき申告をしなかつたものと認めるのが相当である」と判示しているのは極めて酷な判断であると言わざるを得ない。

四、原判決は、被告人が大阪干係土地の売却による所得その他給与及び配当所得について申告期限の前日である三月一四日に川瀬祐臣に指示して申告させているのに、横浜干係土地の売却による所得については指示した形跡がないことを指摘し、逋脱の意図を認める一つの根拠にしている。

この点については大井弁護人提出の控訴趣意書第三の(ホ)末尾にその理由を説明しているところであり、被告人も検察官に対し「西部鉄道の名前の出ることを虞れて、三五年以来の横浜における土地売買のことは一切川瀬に隠していた」と供述しているのであるが、(四〇、二、二五日付検事調書)被告人としては横浜干係の資料到達が遅れたため、取り敢えず大阪干係の申告を行つたに過ぎず、逋脱の犯意の有無を判断する上において、さまで重視すべき問題ではないと思料される。

五、原判決は逋脱の犯意を認定する一つの根拠として、申告期限後間もないうちにも被告人が再び遠藤勇等と課税額を軽減させる方途につき検討を続けていたことを挙げているが、遠藤勇、小池正治、上枝実及び被告人の検察官に対する供述によつて明らかな通り、被告人は申告をしないで済ませる方途を協議したものではなく、税の軽減のため土地収用証明書を使つて申告する方法はないかということを研究したのであつて、当時逋脱の意思の無かつたことの証拠にこそなれ、犯意を認定する証拠とはなし難い。

なおその後において被告人のとつた処置は大井弁護人提出の控訴趣意書第三の(ヘ)記載の通りであり、被告人に手続遅延の責任はあつても 脱の犯意は認められない。

六、原判決は逋脱の意図を認定する根拠として、被告人の検察官に対する二月二七日付及び三月一日付供述調書を挙げ「信用するに足る」と判示している。

被告人は右供述調書において「横浜干係についても申告しなければならないと思つておりまた申告しようと思えば中要の作つた売買一覧表が手元にあつたから、それを元にして期限迄に申告できたのである。申告しなかつた真の気持は、横浜、大阪の土地売買の利益は八丈島、吉原などの土地購入に注ぎ込んで仕舞い、更に西部鉄道から一億五千万の借金があつて、税金を払う余裕がなかつたので、三月一五日は殊更申告しなかつたのである」と述べている。

被告人の右供述の信憑性については大井弁護人提出の控訴趣意書第三の(ト)に、被告人が斯る供述をなすに至つた経緯を説明しているが、その経緯の点は別問題として、被告人は従来の取調に対し「三月一五日午後七時頃、中要より送付された契約書、領収証等を受取つたが、それは自分が中要に渡したものとは全く別物であり、金額等も自分の売買したものとは違つていたので、ついに申告できなかつた」との趣旨を強く主張していたのである。その被告人が、中要より送付された契約書、領収証等の真偽の問題については何等供述することなく、卒然として「税金を納める金の余裕がなかつたから申告しなかつた」と供述したとしても、その供述の内容自体からみて、犯意につき真の自白をしたものと認めることは到底できないものと信ずる。

以上何れの理由から判断しても原判決には重大なる事実の誤認があり、破棄は免れないものと思料する。

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